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岡崎市「岩津城跡」の歴史と遺構を徹底解説|徳川家康の祖先が築いた600年始まりの地

本ページはプロモーションです。掲載内容は予告なく変更される場合があります。
徳川家康の祖先・松平氏の城

愛知県岡崎市の北西部、岩津町の丘陵にひっそりと佇む「岩津城跡」。石垣も天守もない「土の城」ですが、ここは徳川家康の祖先である松平氏が三河の覇者へと歩み始めたまさに原点の地です。教科書にも登場する岡崎城の陰に隠れがちなこの城跡には、戦国時代の城づくりの粋ともいえる遺構がほぼ完全な形で残されています。

本記事では、岩津城の歴史から現存する遺構の見どころ、アクセス情報までをわかりやすく解説します。

目次

岩津城へ訪れる前に知っておきたいアクセス情報

没知ひいろ

「この先 戦国時代」と書かれた看板が面白いですね

項目内容
住所〒444-2144 愛知県岡崎市岩津町
料金無料
見学時間終日可
駐車場専用駐車場なし。近隣の岩津天満宮の駐車場(無料)を利用
電車アクセス愛知環状鉄道「大門駅」から徒歩約40分
車でのアクセス伊勢湾岸自動車道「豊田東IC」から約20分

岩津城跡に入るには、岩津天満宮を目指して車を停めるのが最も分かりやすい方法です。登城口は南側・西側など複数あります。

岩津城とは?基本情報と立地

岩津城は、現在の豊田市松平町にあたる「松平郷」から平野部への進出を目指した松平氏が築いた中世の山城です。標高約74m・比高約50mの丘陵上に築かれ、麓を流れる矢作川の水運と足助街道を眼下に収める交通の要衝に位置していました。

項目内容
所在地愛知県岡崎市岩津町字東山
城郭形態山城(標高74m / 比高50m)
推定築城年代応永28年(1421年)頃〜15世紀中頃(諸説あり)
築城者松平泰親・松平信光(推定)
文化財指定岡崎市指定史跡(指定面積6,294.01平方メートル)

築城年代については、松平泰親が岩津へ進出した応永28年(1421年)頃とする説と、三代当主・信光の代にあたる15世紀中頃(寛正年間・1460年代)とする説があり、現在もはっきりとはわかっていません。

岩津城の歴史〜松平氏発展の原点

松平氏の岩津進出(応永28年・1421年頃)

松平氏の出自は、山深い松平郷(現・豊田市松平町)。三河平野の勢力とは一線を画す弱小豪族に過ぎませんでした。転機となったのが、二代・泰親(または三代・信光)による岩津進出です。伝承では、泰親・信光父子が地元豪族の中根大膳(岩津大膳)を討って岩津へ進出し、ここに本拠を移したと伝わります。

この岩津進出をきっかけに、松平氏は三河の有力勢力へと成長していきます。

三代・松平信光と岩津城の最盛期

岩津城を語る上で欠かせない人物が、松平氏三代当主の松平信光です。信光は卓越した政治感覚と洞察力で一族の命運を賭け、平野部進出の最前線基地として岩津の地を選びました。信光は晩年に安祥城(現・安城市)を攻略して本拠を移しますが、その後も岩津城は松平氏の重要な支城として、一族が城主を務めました。

信光から四代・親忠(家康の高祖父)の代まで、岩津城は松平氏の本拠として栄華を極めたとされています。

信光明寺には松平3代の墓がある。

松平三代の墓(向かって左より松平親氏、松平泰親、松平信光)

岩津松平家の盛衰〜大永年間の今川氏侵攻

岩津城を本拠とした家系は「岩津松平家」と呼ばれ、松平氏の宗家として信光の後も継承されていきました。しかし、大永年間(1521年〜1528年)、三河に侵攻した今川軍の伊勢盛時(北条早雲)によって岩津本家は滅ぼされてしまいます。この頃、家康の祖父で後の岡崎城の主となる松平清康は、大永3年(1523年)に家督を継承していました。

清康の代には松平家の拠点は完全に岡崎城へ移り、岩津城の役割は大きく変わりました。

徳川家康による改修と「土の城」の完成形へ

岡崎城公園の徳川家康像

興味深いのは、廃城の運命を辿るはずだった岩津城が、家康の手によって改修されたという点です。現在残る縄張り(城の設計図ともいえる構造)は、家康の改修によるものと考えられています。一説には、天正2年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際に改修されたとも伝わります。

その後、尾張・織田氏の三河侵攻で岩津松平家は壊滅的な打撃を受けて衰退し、城としての役割を終えていきました。

岩津城跡の見どころ〜現存する遺構

岩津城跡の最大の魅力は、戦国時代の城の要素(土塁・土橋・横堀・竪堀・馬出・枡形・櫓台)がほぼすべて揃っていること。「土の城」の到達点とも評される貴重な城跡です。

岡崎名城めぐり 記念スタンプ

主郭近くには観光案内や記念のスタンプが置かれているため旅の記念になります。
※現在は終了している

主郭と南郭

城の中心となる主郭(本丸)と、その南に位置する南郭。主郭は南側に分厚い土塁を備え、中央が開口して次に紹介する土橋へと続いています。

土橋と空堀・虎口(こぐち)

主郭の入口には、両側に空堀を見下ろす土橋が現存します。

深く掘り込まれた空堀に挟まれた一本の土橋を渡って虎口(城の出入口)へ向かう構造は、中世城郭ならではの緊迫感を味わえます。虎口の形状は枡形に近く、敵の侵入を迎え撃つための工夫が凝らされています。

馬出し(うまだし)

土橋の先には、分厚い土塁に囲まれた馬出し(うまだし)が配されています。馬出しは虎口の前面に設けられる防御空間で、東西両方が開口し、それぞれ土橋や曲輪へ通じる複雑な構造。当時の防御技術の高さを今に伝えます。

あわせて訪れたい周辺スポット

信光明寺

松平3代の墓があるお寺。岩津城へ行くときは併せて行きたい場所。

岩津天満宮(岩津天神)

学問の守り神として親しまれる神社。駐車場やトイレの利用も可能です(公式名称は「岩津天満宮」、通称「岩津天神」)。

若一神社

松平氏が岩津の地に造営した神社。1426年の造営から2026年でちょうど600年の節目を迎え、記念事業として「信光(のぶみつ)フェスタ」なども開催されました。

三河武士のやかた家康館

岡崎城公園内にあり、「岩津松平氏の輝き」をテーマにした企画展も開催された家康・松平氏ファン必見の博物館。

まとめ

岩津城は、德川家康へとつながる松平氏の歴史が最もドラマチックに始まった場所です。山深い松平郷から三河平野への第一歩を刻んだこの城跡には、天守や石垣こそありませんが、当時の設計思想が詰まった土塁と堀が今も静かに息づいています。近くの岩津天満宮とあわせて、ぜひ「松平氏600年の物語」の出発点を訪れてみてください。


主な出典一覧

徳川家康の祖先・松平氏の城

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